interpol 反復の美学


機械的な作業をしているうちに、もくもくと同じ作業を繰り返して、ある充足感を得るということがある。はた目から見れば、なかなかに地味な作業を繰り返すということ。ただ、人には、そういった充足感があるということを、人は、誰もが知っていると思う。

↑のpdaの聴きどころは、曲の中間に位置する「空白」だと思う。一気に曲を「一刀両断する」ここがライブで盛り上がる。彼らはここで、ライブを中断したかのように舞台をブラックアウトさせ、演奏を停止するのだが、かなり痺れる。

この曲は前後の同じフレーズ構成を、空白で魅せ、アウトロのギターパートでさらに盛り上がってゆく。

普段、そこそこに退屈、マンネリを抱いていて、人は刺激を求めがちになるし、より、過激で起伏の激しい、カタルシス、盛り上がりどころのある「表現」を好むのだと思う。一応、interpolも盛り上がるのだが、フツーの盛り上がり方とはちょっと違う。上述したよな、妙なツボがある。

彼らは、現代のポストパンク・ロックバンドの00年代のリバイバルのような位置づけをされている。一聴すると、骨太のjoydivisitionだ。というか、声の質からしても、ほぼ、それ。真似事もここまでくるとなぁ、と思ってしまうのだが、それでも、彼らの独自性があるとしたら、joydivitionに較べたら抑制的で、形式美に溢れているというところだろうか。主張やパッションを全面に出すというより、バンドサウンドの構造主義。インダストリアルな側面も持ち合わせている。それでいて、ニューヨークを無意識に連想させてしまうような、クール・ダンディズムを体現しており、「文学青年風の脆さ・危うさ」とは、距離をとった男くさいロックになっていると思う。なにより、その洗練された「都会風」が彼らのツボであり、かっこいいところなのだと思う。ことによって、ジョイディヴィジョンとばかり引き合いのだされる彼らだが、インターポールの独自性とは、80年代ポストパンク~ニューウエイブをアメリカの都会的気風に落とし込んだところにあるのではないか、と思う。同時期のフランツ・フェルディナンドよりも、文学的な詩に、深刻な側面も持ち合わせている。そういう方面はイギリスではブロックパーティも似た部類に入ってくるだろうと思う。ブロックパーティはあくまでukギターロックからエレクトロニカ導入まで、若干路線は変わってゆくが。

いかにも「インディ気質」をうかがわせる彼らは、日本で言うところの「厨二」というスラングがぴったりくる(語弊はあるだろうが)とはいえ、俺は、とても好きだ。イギリスの源流をたどりながらも、アメリカのパンクと折衷するセンスがなんとも言えない。インターポールのシックな装いを見て、「ま~たukロックか」と思っていた。ニューヨーク出身ってところがいかにもクールだ。



ちなみに、俺は、この↑ leif eriksonが好きだ。radioheadのストリートスピリットを彷彿とさせるようなこの楽曲は、冒頭のゆったりとしたアルペジオ?(たしか)で進行してゆく、寂寥感とカタルシスの大きい彼らの名曲だと思うのだが。

Turn on the Bright Lightsで日の目を浴びた彼らだが、続くanticsでセールス的にもヒットしたバンドの部類に入ってゆく。ランキング的には、Turn on the Bright Lightsの方がセールスランクは初登場時、大分低いのだが、むしろTurn on the Bright Lightsがよかったから、のちのセールスにつながったわけで、名実ともにいわゆる「名盤」として名高い。おすすめの一枚になっている。正直言うと、彼らの全盛期は、そこだろう。変化してゆくバンドの多い中で、彼らは、いっつもおんなじスタイルなので、正直飽きているところはある笑。ただ、変に、おかしな色気を出して中途半端なスタイルチェンジするより、飽きたとかつまらんと言われても、良いと思われるシステムを捨てずに継続してゆくことも、大事なのかもしれないと思わされる。


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